明日が待ち遠しくなる!3分で幸せの種まき

ワクワクして明日を迎えるために、今すぐできること。

結婚後に待っていたもの

またまた前回からの続き。経済的にも心理的にも自立するために、過去の自分を振り返り中のyokkoです。

 

皆様、私の記録を他山の石として、どう行動すれば心からのhappyが続くのか、よーく考えてくださいね。

 

公務員の妻となって官舎住まいを始めた私。初めて九州に住み、知り合いもいないし環境にも馴染めない。初めはご近所付き合いもどうしたらよいのかわからなかった。

 

旦那の同僚の家族と触れ合う機会はあっても、共通の話題は少ないし、自分も働きたかった。なので派遣登録をして、データ入力の仕事をした。往復1時間半ほどかかる通勤の運転は辛かったが、働くのは楽しかった。だから働けるだけ働いた。時には自分の方が帰りが遅くなる位に。

 

ところが、疲れて帰っても、旦那は鼻をほじりつつテレビを見ているばかり。毎日ご飯さえ炊いてくれない。玄関を入るなり「あーつかれたぁ」と荷物を置いたある日、突然旦那が玄関までつかつかとやってきて私を怒鳴りつけた。

 

「俺の前で疲れたって言うな!」「疲れた時疲れたって言って何がいけないの?」「俺は十分稼いでるんだから、お前は働かなくていいんだよ。家で楽しく過ごして、俺が帰ってきたらにこやかに迎えればいいんだ」「・・・(想定外の言葉に驚きすぎて、反応できなかった)」

 

ここで賢明な人なら別居するなり、旦那と距離を置いて自分でよく考えるのだろうが、私はそうしなかった。結婚する時に、旦那はどちらかが家庭に入らなければだめだと言い張り、結局私が主婦になった。嫌なら仕事を辞めなければよかったのだ。

 

それから間もなく、旦那が複数の女性と楽しく会話しているメールを偶然見つけてしまった。携帯が開いたまま通り道に置かれていて、たまたま拾い上げたら、内容が目に入ってしまったのだ。

 

性的な関係を匂わせる内容ではなかったけれど、滅多に動揺を見せない旦那の「しまった」という顔は今も忘れられない。

 

自分が必死に運転して通勤したり仕事をしている間に、こんな事をしていたなんて。あきれて、言葉もなかった。むこうが全力で取り返しにかかるのを必死で振り切り、携帯を金槌で叩き壊して川に捨ててやった。

 

当時の私にとって、結婚は神聖な誓いの下にあるもので、簡単に反故にされるべきものではなかった。それに仕事を辞めて、はるばる九州まで来てまだ2年ほどで、実家に帰るなど恥ずかしくてできない、自分が我慢できることはして、結婚生活を継続することが大切だ、と信じ込んでいた。

 

誰に対して恥ずかしかったのだろう?ごく普通の結婚生活さえできない女。仕事辞めてどうするんだ。そういう周囲の声を勝手に想像したのは自分だけではなかったか。

 

そうして私は、仕事を辞めた。私が働かなければ、家庭の平和が保たれる。。これからは、主婦として頑張ろう。

 

 私は、頑張った。苦手だったお付きあいも、誘われたら断らずに何でも顔を出した。料理教室に通ったりして、毎日違うメニューの食事を作った。お客様には手作りのご馳走でおもてなしした。

 

そんな私を見て、主人はとても満足そうだった。私も、これが幸せなんだと思っていた。

 

続きは、また次回。

 

 

大学生をする 仕事をする

前回からの続き。自分をきちんと見つめて、自分の気持ちの深い部分が感じていることに正直に、正面から向き合っていますか?それをしないでいると、私のようになります。。

 

高校を卒業して大学生になった私がどんな毎日を過ごしていたか。大学生をしていた。正確には、「大学生とはこういうことをするものだ、と自分が思っていたこと」を一通りやっていた。

 

バイトをしてお金を貯めて海外旅行に行き、テニスサークルに入っておしゃべりをして、彼氏とディズニーランドで遊び、勉強は落第しない程度にやる、という感じ。

 

やってはみたけれど、どれにも没頭できなかった。どれも、自分が本当にやりたかったことではなかったのだと思う(お付き合いした彼のことは本当に好きだったので、そこは除いて)。

 

そして私は、怠け者でゴロゴロするのが大好きだった。実家では禁じられていたテレビを存分に見て、漫画を読みまくった。洋服も、お金がなかったので古着屋を回って、色々身につけてみた。本も、サブカル系のものを中心に読みあさった。

 

それなりに楽しかった。自分では色々なことをやって頑張っていると思っていた。でも、今考えると、必死で何かに打ち込んだことはなかった。

 

他のことは放っておいて、これだけは!と思って打ち込めることが自分にもあったはずだが、とことんまで突き詰めて探そうとはしなかった。

 

就職活動の時、自分は「親の期待をある程度満足し」「それなりのお給料をもらえて」「社会に貢献できる」仕事がいいな、と思い、一応希望通りの仕事に就いた。結婚しても、絶対続ける!と息巻いて。

 

結果は、数年働き、結婚してしばらくしてから辞めてしまった。相手が辞めることを強く望んだから。そして、今思えば、自分が仕事から逃げたかったから。

 

なぜ逃げたくなったのか。コミュニケーション能力が低すぎることで、自分に自信がなくなってしまったのだ。大きな組織の中で、沢山の人と知り合いながら鍛えられていく訳だが、そのこと自体がストレスになってしまった。

 

なかなか人の名前が覚えられず、仕事上の関係を深めていくコミュニケーションがうまくとれない。仕事が出来ないわけではないので、辞めると言ったら慰留も何度か受けたが、自信がなくなってしまった以上、続けられなかった。女性の少ない組織だったが、ここでもやはり友達が作れなかったり、セクハラまであった。

 

 私は、結婚に逃げてしまったと思う。主人もそれはわかっていたはずだ。だから、将来俺も捨てられるのかな‥とボソッとつぶやいたことがある(笑)

 

本当の試練は、結婚後に待っていたのだが、いくつかのターニングポイントで、私は見事に自分を信じない方向に進んだ。続きはまた次回。

自分がやりたかったこと

前回の続き。私の迷走の軌跡について。中学生・高校生だった頃、あなたは、将来何をして生きていこうと思っていたか思い出せるだろうか。

 

そして今、当時思い描いた生き方ができている人は、本当に幸せな人だ。自分で自分の舵取りがきちんとできたのだから。

 

私には特に夢はなく、とにかく家を出て暮らしたかった。家を出て一人で暮らせば、幸せに生きていけると思いこんでいた。

 

両親は勉強しろと毎日毎日言うし、テレビのボリュームまで小さくして、勉強の邪魔にならないように、などという。テレビは親がチャンネルを決める。当時話題のドラマやバラエティーは、あんなくだらないもの、見る必要ないといって普段は全く見せてもらえなかった。

 

仕方なく、ラジオを聞くようになった。音楽や夜のラジオは本当に面白かった。しかし親は、音が聞こえていると勉強の妨げになると信じ込んでいて、音楽を聞きながら勉強するなんてとんでもない、普段から音楽がうるさい!と腹をたててばかり。とうとう父はラジカセ(年がばれますね)をたたき壊してしまった。

 

普段から、草むしりなど家の用事をせずに友達と遊ぶことは許されず、せっかく誘いに来てくれても断るしかなかった。小遣いを貯めて漫画を買ったらものすごい勢いで怒られ、捨てられた。仕方ないので、ノベライズされたものを読んだり、学校で友達から借りて読んでいた。漫画も、とても面白かったのだ。

 

家にいても楽しくなかったが、友達とも楽しく遊べない子供だった。女の子同士のグループの中に、うまく入っていけない。話したいのに、何を話したらいいのかわからなくて、会話が続かなかった。

 

中学の後半は、靴の中に「お前のことなんか大嫌いだ、消えろ」的手紙が入れられるようになった。理由は、考えても考えてもわからなかった。それでも休まず通学しつづけた。

 

高校は、隣町の進学校に進んだ。自分は、共学の高校に進学したかったが、親の強硬な反対があってのことだった。

 

高校でもなかなか友達が作れず、クラスでもハブられる訳ではないのだが、特定のグループに入るでもない。修学旅行の班決めでは、何とか仲間に加えてもらったが、自分も同じグループの子たちも、心から楽しんだかといえば、微妙なところだ。

 

さすがに高校生にもなると、はっきり自覚する。自分に友達ができないのは、自分に問題がある、と。共通の趣味があると話が弾む。でも共通の話題がない人と、どう関わればいいのかわからない。全く友達がいない訳ではないのだが、とても少なかった。

 

ある時期から、自分は自分にしか興味がないからではないか、と思い始めた。自分のことばかり話し、自分も興味のある話題なら盛り上がれる。しかしそれに気づいていても、自分の会話や行動をどう変えていけばいいのかわからず、試行錯誤が続いた。

 

こんな風にして、大学に進学すれば、周りの環境さえ変われば、自分も変われるんじゃないかと、さらに家脱出の意志を強くしていた。

 

変わるはずがないのだ。自分が変わらないと、世界は変わらない。本当にそう気がつくまで、高校卒業から30年近くかかった。

 

あなたは、自分の進みたい方向へ、自分の意志で進んでいますか?まだまだ、続きます。

人生を左右するもの

今日の内容は、読んでもハッピーになれないかも(笑)私のこれまでの失敗のお話。

 

土曜日は大宮でマネーセミナーを受講、日曜日は神谷町で個別面談を受けた。もう遅いかもしれないが、自分の人生を自分で立て直したいから。

 

主人は国家公務員なので、それを聞いた人は皆、我が家の経済は盤石と思うらしいが、とんでもない。不動産の借金だらけである。

 

まずは、主人が結婚間もない頃、私に黙って購入した投資用マンション2室。ほとんど持ち出しなく家賃保証のマンション経営ができる、老後には毎月の家賃収入が入ってくる、とうまい話に乗せられて、2室も購入したのだ。エアコンに外壁の修理など、持ち出しばかりで、すっかりお荷物になっている。

 

夫がこれらを購入した時、離婚するべきか真剣に悩んだ。まだ子供はいなかったから、離婚して自分の人生を始めてもよかった。

 

今思えば、離婚しなかった私は、自分の人生を自分でどうにかしようという意志に欠けていた。経済的にも心理的にも主人に依存していたし、今もそれは続いている。自分の収入だけでは食べていけないし、娘たちを養えないのだから。

 

次に、主人のおばのためのマンションを購入した。彼女はかつて主人の両親と同居していたが、舅の兄の破産で、舅兄弟の共有名義になっていた自宅は人手に渡り、主人の両親とおばの不仲は決定的に。両親には何とか自活してもらい、私たち夫婦は必死におばのケアをした。

 

最後に自宅マンションを購入した。こんな状況で自分たちの自宅を購入するなんてどうかしていると思うが、特に小3になっていた娘が全国を転々とする生活に疲れていたし、私も定住してちゃんと働きたかった。その気持ちだけで買ってしまった。ここまでローンが組めてしまうのが、公務員の恐ろしいところだ。

 

気がついてみれば、私の主人への依存度合いも相当なものである。それに気づいたのは、ローン返済終了が75才になっているのを見たときだった。ちょうど、その時の自分の親と同じ年齢になるまでローンを払い続けなくてはならないという現実が、親の姿を通して、急に目の前に見えたのだ。

 

心の底から、怖くなった。何とかして収入を増やさないと、老後破産まちがいない。切実にそう思った。主人に話しても、今考えても仕方がない、という。支払いでいっぱいいっぱいで、先のことを考える余裕がないのだろう。

 

人生を左右するものは、自分で何とかしよう、という意志である。他人に選択をゆだねていると、私のようになってしまう。

 

私の迷走ぶりについてはまた次回。

 

 

 

 

 

 

想像力

仕事でミスをするたびに、こういうミスをしない人になりたいなぁー、と心底思う。上司や役員を見ていると、自分がするようなミスはしていない。この違いは、どこからくるのだろう?

 

自分を変えたければ、どんな風になりたいのか、具体的なイメージが必要だ、と言われる。こんな風な、とプラスのイメージや比喩によって描かれるその姿が具体的であればあるほど、そこに近づける、とも。

 

そこは想像力を働かせるところだ。それはわかっているのに、今の自分の想像力は、理想の自分の姿を具体的に描ききれない。自分で自分の可能性を信じられないでいることの現れなのか、自分がどうなりたいかが見えていないことが原因なのか。

 

つれあいが定年を迎えるまでに、自分が家計を支える側になれたらいいな、と思って働き始めた。2年経って、今は扶養から外れ、自分で納税しているが、目標は達成できていない。

 

来年は、300万以上稼いでいたい。どうすればできるのか、毎日考えている。

 

 

 

限界

金曜日の面談の後、週末の私の気持ちはモヤモヤしていた。最終的には、何だか悲しくて涙がでた。

 

何が悲しいのか考えてみると、自分で自分に限界を作っていたこと、それが故に会社側の評価にも限界があること、そして今の会社でずっと働くことはできないとわかったからだった。

 

ここまで整理するのには2日間もかかってしまったが、自分の感じたことに素直になって、納得がいくまで考えたことでスッキリした。

 

考えるきっかけになったのは、「業務全般をみて、何か気づいた点はありませんか。何でもいいんだけど」という役員の一言だった。

 

そう言われてハッとした。自分はパートだから、と目の前の作業をこなしつつ自分の作業の生産性を上げることにばかり夢中になって、会社全体の生産性を上げるという視点が自分の中になかったことに気づいた。

 

それに「フレックス勤務で出勤時刻を早めるのは現状では管理が難しい。フルタイムで勤務してくれる人を優遇したい」とも言われた。営業時間が10:00-19:00なのだが、学童保育は延長しても19:00までだし、そもそも子供を迎えに行って家に着くのが20:00では、子供の健康が心配だ。私はこの会社でフルタイム勤務はできない、と思った。

 

 試しに派遣会社のサイトで、今の自分程度のスキルでどのくらいの時給がもらえそうか、検索してみた。1500-2000円というところか。金銭的には、転職したほうが収入は増える。

 

ただ、私が今の会社に惹かれたのは、お金ではない。業務の内容に魅力を感じたからだ。ほかには決してない、新しい仕事。それゆえ世の中で広く認知されてはいないけれど、必要とされている仕事だと思う。

 

そういう場所を離れるのは、寂しい。同僚も皆いい人ばかりだ。でもそろそろ、旅立つ準備を始めなくては。自分がフルコミットメントするに値する、人生をかけるに値する仕事を探したい。きっとその場所があるはずだから。

面談

今日は仕事の面談があった。新しく労務担当になった役員との面談だ。ちょっと緊張する。

 

事前にアンケートに答えて、それをもとに話をしていくのだが、中でも印象に残った言葉は「もっとジョブローテーションがあってもいいと思っている」という言葉と「今の業務を続ける限りはお給料は増えない」という言葉だった。

 

意味するところは「他の人が担当している業務をやってみたければ、やれますよ」「給料を増やしたければ、もっと責任ある業務ができないとだめですよ」ということだと思う。

 

ようやく何とか与えられた仕事をこなせるようになってきたところなのだが、改めて新しい課題を突きつけられた感じだ。要するに、自分の居場所は自分で作らないと、他の人から作業を貰って下請け仕事をする人、の位置からずっと抜け出せないのだ。

 

ベンチャー企業ならではのことかもしれない。業務の割り振りが固定化していないのは、むしろ歓迎すべきことかも。しかし、何をすればお給料が増える方向に進めるのか、さっぱりわからない。

 

ただ、面談の中にヒントはあった。うちの会社の業務にはBtoBの側面とBtoCの側面があるのだが、どちらの場合も顧客のリピーター率が低いのだ。それを引き上げることに貢献できれば、待遇は変わってくるかもしれない。

 

何を、どう考えたらいいのか見当もつかないけれど、課題はハッキリしている。あきらめずに考えること。思いつく限り、対策を100個ぐらい考えたら、一つくらいまともに取り合ってもらえる案が出てくるかな?考え続けよう。